[其の五] ばっぱめんこ(ばあちゃんこ)

「ただいま!」──学校から帰ると「おかえり」と言って私を迎えてくれるのはアイばっぱだった。必ず「晩ご飯まで待でだが?」と聞いてくれた。「ううん」とだだをこねると「待で待で」といって、味噌をつけた「握りまんま」を作ってくれた。農家夫婦共働きで忙しく、話し相手はいつもばっぱだった。夜は、じさ(じいさん)とばっぱの間に寝た。ばっぱは昔話をよくしてくれた。怖い話になると、じさの地鳴りのするようなイビキが効果音となって怖さが倍増した。
そのばっぱは96歳で亡くなった。今から14年前のことだ。周りの人たちが「90過ぎだもの、大往生だ」と慰めてくれた。しかし、私の気持ちは晴れなかった。小さいときからばっぱにはわがまま言い放題、し放題。むしゃくしゃするとばっぱに当たり散らした。アイばっぱは「んだが、んだが」といつも聞き役に回ってくれた。「外面(そとづら)のよいおりこうさん」は、結局一度も面と向かって「ごめん」と言えなかった。言いそびれてしまった。それが大往生を受け入れられない理由だったと思う。年をとって逝ったからといって、誰にとっても大往生なわけではない。謝らなかったことがとても心残りだった。
昨年のこと、私の書いた『夏田冬蔵』の古本をインターネットで取り寄せた。絶版となっていたが、どうしてもプレゼントしたい人がいたのだ。すると、届いた本の表紙のあたりが膨れている。そこには薄い便せんに細いボールペンで書かれた手紙が挟んであった。

御免下さい
あなた様も奥様もさぞお元気の御事とお慶び申し上げます
私事 おかげさまで無事楽しい日々を過ごしております
久しいことご無沙汰しました お詫び申しあげます
この本は康市が酒屋の事 何も分からずに酒蔵で釜の火焚き小僧から手探り作業で うぶな人がどうにか皆様のおかげで全国酒鑑評で連続四回金賞を受けるまでの 自分の来た途を振り返り綴った日記のようなつまらない本ですが 日増しに夜長の候となりなす故 退屈しのぎにお読みくださればこの上なき幸せと存じます
一雨毎に寒さに向かう折柄 御身御大切にお健やかにお過ごしくださいませ
皆様の御健康と御多幸を御祈り申し上げます   かしこ

◯◯ ◯◯ 様
御内宝 さま
森谷 アイ
九十三ともなれば 誤字乱文 御判読願います

本が出版されたとき「読ませたい人がいる」というばっぱに一冊渡した記憶がある。遠縁に当たるというその方も、ご高齢で亡くなられたと聞く。ご家族の方が遺品を整理したのだろう。その本がばっぱの手紙とともに、ネット社会ならではの不思議な巡り合わせによって私の手元に戻ってきたのだ。
勝ち気で、物好き。涙もろくて、食いしん坊の強情っ張り。ちょっとハイカラなばっぱだった。私自身の性格を思うと、ほとんどがアイばっぱで出来ている。50を過ぎたおじさんが今さら言うのもなんだが、私はやっぱり「ばっぱめんこ」なんだな。

カッコウのなく頃
アイばっぱが縫い物。針に糸をさしている。ちょうど酒づくりの世界に入ったあたりを描いたものだ。そういえば、夏休み、冬休みの宿題もアイばっぱをモデルにした絵か版画だった。