[其の七] 『どやぐ(友達、親友)』

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この「どやぐ」という言葉には、幼なじみ、竹馬の友…、そういった意味がある。二人の男の子が肩を組み、空いた片方の肩に釣り竿、そうしてもう一人の手にはバケツ。肩を組むこと=友達の証、そんなイメージがある。

中学の頃の話だ。はちきれそうなワクワク感で迎えた新学期。その気持ちは配られた一枚の紙で萎えてしまった。

「身上書」というその用紙の二つの質問欄の答えがなかなか埋まらないからだ。ひとつは「御父兄の家庭での教育方針は?」だ。母に聞くと、父さんに聞いてと言われた。父に聞くと「めんどくさい。そんなのウチにないべ。なんやかんや書いとげ」といわれた。腹一杯食べて朝元気に起きてくれば上等、みたいな家に「教育方針」という四文字熟語は存在しない。しかたなく、「人に迷惑をかけない人になってほしい」などと書いてお茶を濁した。

もうひとつ、例の「身上書」の埋まらない欄とは「あなたの友達はだれですか?」だ。こっちはもっと往生した。頭には何人かの「友達」の顔が浮かんだ。ただし、その半分近くが年上、先輩なのだ。「先輩を友達と言っちゃ失礼だ」と思った。次に同学年の友達も頭に浮かんだ。しかし「待てよ。俺が一方的に思っているだけで、彼はそんなことちっとも考えてなくて…。彼は、◯男と◯平の名前をこの欄に書くかもしれない。きっとそうだ」そんなこと考えていた。いっそのこと「あのさ、ちょっと確認だけど、俺たち、友達だよね?」と聞いとけばよかったのか。もちろん、できっこない。恋愛感情だけじゃなく、『友達感情』もどこかしら、思い出すと幼さゆえの甘酸っぱいところがあるものだ。

現代の若者はどんな友達の定義を持っているのだろう。二十歳を迎えた三男坊に『現代友達事情』を探ってみた。

「まず、携帯の電話帳に載ってる人。すべてじゃないけどね。LINEとかのやり取りがある人かな。よく言うじゃない“つながってる”って。“つながる”と“友達”はほとんど同じだと思うよ。だんだん友達の友達と仲良くなっていくしね」。

フェイスブック、ツイッター、LINE…。当たり前となった人と“つながる”方法だ。

「あんまり枠に縛られないで、あまりムリしないで付き合えるから」といって正月に集まった彼らは高校も性別も別。ただ『バスケットボールを同時代に頑張った』という“くくり”だ。還暦に近いおっさんもなんか「いいね!」と素直に思う。しかもその刺激を受けておっさん、その“つながる”を始めてみた。今のところ「帰りに焼肉のタレ、中辛買ってきて」という嫁さんのメッセージが入るくらいだけど。

一年半ほど前、あるきっかけで「酒ってなんだろう」と真面目な気持ちで「飲まない時間」を過ごしてみた。しばらくして、自然と湧いてくる感情があった。「人恋しさ」とでも言えばいいのだろうか。酒も気心の知れた友人も同じようなところがあると思った。「それはよかったね」といっしょに喜んでくれる。そして「いつまでもくよくよするな」と励ましてくれる。楽しいことが倍になり、辛いことが半分になる。

久しぶりに遠くから友達が来る。仕事をフル回転で片付けよう。旨い酒を選んでおこう。畑の野菜を漬物にしよう。そして言うんだ。「よう飲み友達、ひさしぶり。明日は休みをとったからゆっくりやろう」って。

 

〈 恋する秋田新聞 2014年 2-3月号掲載 〉