[其の九]『むごもてみゃもみえにゃ(向こうも手前も見えない 猛吹雪)』

sonokyu

酒つくりは寒つくり。寒さを味方に付けてきめ細やかな味わいのある酒を醸す。普段、道行く人との冬のあいさつは「寒くて大変だんす。あんまり(雪)降らねばいいんすね」と、一応合わせているが、じつは我々蔵人、「寒い日が続いて最高!」と心のなかで思っている。

ただし、それにも限度というものがある。明け方からやけに暖気めいて、米をふかす大量の蒸気が釜場の高いところにある天窓から抜けないで床を這う。こもった蒸気で蔵の中にもやがかかり、視界さえ遮る。

「いよいよ来たが、今晩から大荒れだな」だれともなく口にする。案の定、日中、温かい雨が降る。その雨がやむ頃、ひと息ついていた冬将軍が暴れ出す。「雨返し」と呼ばれる猛吹雪の始まりだ。蔵の何箇所かある蒸気抜きの天窓から雪がチラチラ落ちてきて床をぬらす。ガラス窓がカタカタ鳴って、しまいには雪が張り付いて外の光が届かなくなる。

蔵は小さな町の真ん中にある。町なかでさえこんなに悪天候だと、周りに点在する村への道は全くのホワイトアウトなのが容易に想像できる。「むごもてみゃもみえにゃ(向こうも手前も見えない、猛吹雪)」つまりまるっきり視界が利かない状態なのだ。車は立ち往生。それを知らずに追突することもある。除雪が行き届いている今日でさえこんな状態だから、除雪という仕組みがなかった頃は山岳地帯でもないのに「ふきどり」と言って遭難する危険があった。

そのころ学校に通う子どもたちは大変だった。私の通った蛭野小学校は田んぼのなかにあった。自宅が遠い子たちで2キロの道を歩いて通った。除雪のされていない道は人が歩くことで踏み固められたもの。この辺では細い道を「背骨道(せぼねみち)」といって、踏み外すと大人でも腰まで埋まって身動きができなかった。大人たちは吹雪に備えて子どもたちがその「背骨道」から踏み外さないよう葦をたくさん用意して道の傍らに刺して目印とした。

それでも吹雪は容赦しない。子どもたちは一列になって歩く。先頭は6年生の男の子だ。家族でいえば父さん役だ。その後をピッタリついて低学年の子たちが続く。しんがりは母さん役の上級生の女の子。赤いマントを着ている子が多かった。まつ毛に雪が付いている一年生は真っ白い何も見えない世界に、もう泣きそうだ。経験したことのない怖さだ。そして、口をふさがれたような、息することのできない程の強い風にしゃくりあげる。やっぱり泣き出した。列から遅れ始めると、一番後ろの姉ちゃんがマントをさっと開けてその一年生を受け止める。マントの中は温かい。姉ちゃんはマントの中で自由になっている両手を後ろから一年生の肩に回して一緒に歩いてくれる。南極でペンギンが赤ちゃんを股に隠して吹雪をやり過ごす光景に似ている。一瞬風が弱まると、遠くに学校が見える。薪ストーブの煙突から細い煙が真横に流れている。「ほら、がっこ見えできたよ」と姉ちゃんの声。その声に一年生はマントから顔だけちょこんと出してみる。

用務員の小玉さんが、ストーブを真っ赤に燃やして子どもたちを待っていてくれた。泣きじゃくっていた一年生は、何年かすると先頭に立ってみんなの風よけになって歩く。順繰り順繰りに。

ふと、秋田の人たちは忘れっぽい人が多いのかもしれないと思った。冬に「大雪いやだ」「吹雪はきらいだ」「ご先祖さん、なんでこんなとこ選んだの?」といっていたのに、春の桜の咲く頃にはもうそんなこと「すぺっと」忘れて、笑顔で一杯やっているんだから。