[其の十二] 食ってしけでけれ(食べるの手伝って)

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 私が青っ鼻を垂らしていた小学校のころ、母は季節の野菜を大きな背負い籠に入れて町に出かけて行った。いくらか顔見知りになった町の奥さんたちの玄関で一軒一軒声を掛ける。本職ではないが野菜を売り歩く。小銭が少しずつ貯まっていく。籠の野菜がなくなると袋状の財布(最後に長い紐でくるくる巻きにするタイプ)からお金を出して、それで買える分だけ魚を買う。塩辛い鮭(この辺ではボダッコと言う)や、塩が白く粉を吹くようなニシンなどだ。肩がちぎれるくらい野菜をたくさん背負って行っても、収穫は僅かなものだったらしい。家に着くと炊事場で魚の下処理をする。魚を包む新聞紙の間から、魅惑の赤い袋に入った棒状の食べ物を発見することがあった。

 「特別だよ。今日は特別のおみやげだよ」そういって母は「魚肉ソーセージ」を手渡してくれた。ただし、それは斜めに薄くスライスして子ども三人で分けて食べるもので、「ああ、一度でいいから一本まるごと食べてみたい」それが小さいころの私の夢だった。そうそう、バナナは遠足の時だけだった。それも母が野菜を売ったお金で買ってきてくれた。

 その後、そうして町に出かけることは次第になくなった。それでも、家族の胃袋を満たし家計の助けになって来たことに間違いはない。

 「特別な贅沢しなければ、米・味噌、そして畑の野菜があればなんとかなる。昔からよく言ったもんだ」我が家の九十に近い父母たちは口にする。つまり、農家は自給自足が大切という教えだ。ただし、子どもたちが家から離れ家族が減ったにもかかわらず我が家の「古老」たちの野菜作り熱は止まらない。もうとうに「自給自足」の域を超えている。「大雨の前に揃った芽が出てよかった」「台風が来るから茄子の支柱を増やさなければいけない」一喜一憂しながらの毎日だ。「朝起きてすることがあるっていいことだ」と、朝日とともに畑に出る。

 さて、問題は家では食べきれない野菜たちだ。すると父母は手際よく何種類かの野菜を袋にまとめ、子どもたちや、親類の家に「配達」に出かける。つまり手土産に持っていく。その時手渡すときの一言が《食ってしけでけれ》なのだ。

 「おみやげです。食べてください」では、いくら身内とはいえ気を使う。「お返し」を考えたりする。そこで「ごめんね。食べるの手伝って」という、遠慮させないための優しい言葉と気配りだ。近所の農家同士でも、「あるとは思うけど、食べきれなくて《食ってしけでけれ》」と言って玄関先において行ってくれる。「あやえがったごど。じぎなしごっつぉーなるな(ほんとよかった。遠慮なしに御馳走になるね)」と言って受け取る。そしてしばらくして今度は反対に、「果樹やっている妹、リンゴいっぱい送ってきた。《食ってしけでけれ》」とお返しをする。「うちの子供たちの大好物だ。ありがたいごど」と受け取る。食べ物の行き来にこんな会話がついてくる。

 そういえば農家の中には、「キュウリを植えてはいけない家」「ゴボウを植えてはいけない家」があったりする。これは「あること」よりも「ないこと」でお互いに頼りあう仕組みなのかもしれない。そして。もっとすごいことは村に「米の銀行」とでも言うのだろうか、共同の米蔵があった。冠婚葬祭で急に物入りがあると米を借りるのだ。そしていくらか余裕ができると利息を付けて米蔵に返す。お互い助け合う「村」の仕組みだった。

 関西の人たちがおばんざいをお隣さんに持って行く時「ぎょうさん作りすぎてしもうた。食べるのてつどうて」の精神がここにもある。