[其の十一]『はーえ(どーも、ごめんください)』

DSCF7069

「こんにちはー、水飲ませてください」──ランドセルをカタコト鳴らしながら、元気な挨拶が玄関から聞こえてくる。

「天の戸」では、酒蔵から50mほど離れたところに湧き水があり、通りを挟んで蔵の中に引き入れ、仕込み水として使用している。その冷たい湧き水を目当てに、学校帰りの小学生たちがやってくる。夏のアスファルトを歩いてきた子供たちには絶好の「給水所」だ。

ある土曜日、見覚えのある女の子が弟らしき小さな子を連れて玄関に立っていた。「こんにちは……、水飲ませてください」と、はにかみながら言っている。そうだ、いつもは上級生たちのかげに隠れるようにくっついて来ている子だ。たしか真新しい赤いランドセルを背負っていたから、きっと一年生だろう。事務所からの「どうぞ」の声に、男の子の手を引いて水飲み場に走って行った。

しばらくすると、その女の子がまた横に男の子を立たせて玄関にいる。私と目が合うと女の子は、男の子の背中に手をやって「ありがとうございました」と、自分がお辞儀するのに合わせて頭を下げさせた。そして入ってきたときと同じように、はにかみながら通りに走って出て行った。

小さな酒蔵とはいえ、子供たちにとってこの薄暗い建物には威圧感、独特な雰囲気があるのだろう。でも学校に上がった「えらい姉ちゃん」はここに入るワザを持っている。上級生のやっていることの見よう見まねながら、ここの「しきたり」を知っている。弟にそんなところを見せたかったのだろう。

そういえば近頃「ごめんください」を言わなくなった。一般のお宅に入るときは別だが(言わなかったら泥棒である)。例えばコンビニ。黙っていてもドアが開く。そして黙っていても「ピンポーン」のチャイム。こっちを見ていなくても店員さんが「いらっしゃいませー」と忙しいのに言ってくれる。大型スーパーでは、カートにかごを載せてからレジを通るまで「ポイントカードお持ちですか?」の声がなければひと言も話さずにクルマに戻る。それが日常になりつつある。

幼い頃、私の住む六十軒ほどの村に自転車屋さん、床屋さんを含めると八軒もの「お店」があった。おつかいで店に行くと店番がいないのが当たり前で、夕方には決まって奥の炊事場で夕飯の支度をしている音がする。私はその音に向かって聞こえるように「はーえ」「はーえ」と叫んでいた。

「はーえ」──このちょっと気の抜けたような言葉、これが店に入るときの挨拶だった。すると奥から「はいはい、はーい」と言って前掛けで手を拭きながらおばちゃんが出てきてくれた。「豆腐、ひとつ」と言うと「偉いねー、こうちゃん」と名前まで呼んで褒めてくれた。豆腐を鍋に入れてもらうと、手に跡がつくほど握りしめていた何枚かの十円玉を渡した。

小学校に上がると教員室には一礼してから入るように教わった。中学校では部活の体育館、道場、そしてグラウンドに入るとき「よろしくお願いします」と声に出してお辞儀をしてから入るように教わった。それが当たり前だった。「敷居をまたぐ」という言葉がある。それはどこか「襟を正す」に近いものを感じる。改まっての挨拶は今さら照れくさいところもあるが、ここ一番では必要なこともある。

そうだ、この冬から酒つくりの部屋に入るたびに一礼することを始めてみよう。心のなかで「よろしくお願いします」と言って仕事を始めよう。その緊張感のある姿を、きっと酒つくりの神様は見ているはずだ。もしかしたら、蔵元のご先祖様も見てくれて「杜氏にボーナスをくれてやれ」と社長の耳元で囁いてくれるかもしれない。そう、もしかしたら。



[其の十]『ホジ落とす(本地落とす、正体なくす、記憶をなくす)』

DSCF68323

瞼をゆっくり開ける。時計の短針が「3」のあたりにある。二日酔いではないようだ。次の瞬間ムクッと起きて「あちゃー、またやった」と、顔をしかめる。テーブルの上にはクルマの鍵と財布、百円玉が七、八個。運転代行を使って帰ってきたのは間違いがないようだと、まずは安心する。

嫁さまに声を掛けられた。「ん? 今何時? なにウロウロしてるの。何か探しもの?」「いやー、なんでもない」そう答えたものの、実は探している。夕べの記憶だ。

夕べは蔵の飲み会だった。その飲み会の記憶が途中からない。この辺りではこの状況のことを「ホジ落とす」という。この「ホジ」、一旦落とすとなかなか見つからない。刑事ドラマのように、夕べの足取りや言動を聞き取りし、人様に「被害」を与えていないか、自ら証明しなければ。解決しないといつまでも「被疑者」みたいで居心地が悪い。

天の戸には「杉玉会」という親睦会がある。冬の酒つくりの期間中、休みなしの毎日にもかかわらず「酒つくりの疲れは酒で流す」などと宴会をやる。会則はただひとつ、「何があっても、最低月一回やること」。

社長には「今年の酒の出来は、料理と合わせてみないとわからない」とか「酒の味は蔵の空気のなかでは欠点が見つけにくい。外で飲んでみないと」などともっともらしい理由をつけてお酒を出してもらう。会費はツマミに充てるのだ。

毎回スタートは六時ころから。はじめは本来の目的どおり「利き酒」だ。「今年は味たっぷり型だ」「このタイプは味のりするまで出荷を待ったほうがいいな」と互いに感想を言い合う。そして、そのあとは差しつ差されつだ。

「さて」と、料理をゆっくりと食べようとすると「杜氏、ご苦労さんです」「杜氏、さすがです」「杜氏、この酒どうですか?」。若手の連中が次々と酒を注ぎに来る。杜氏すっかりご満悦である。・・・ん? まてよ。もしや。

《それでなくても、仕事での杜氏は口うるさい。飲み会でもその調子でやられちゃ大変。まずうるさい杜氏には眠ってもらおう》──きっとそうだ。そういう魂胆だったのだ。してやられた。睡眠不足とはいえ、あまりに早い撃沈だったのはそのせいか。「杜氏、代行来ました」と、鈴木君から言われて目が覚めたような気もする。それもおぼろげだ。

やはり記憶がつながらない。次の朝、先輩の西田さんと加藤さんに「昨日、途中からの記憶なくて、俺、変なことしませんでしたか?」と恐る恐る聞いてみた。すると二人は「なんの、おりこうさんそのもの」「静かに飲んでたよ」。その言葉にやっとほっとする。

休憩時間、若手連中が二次会で行ったカラオケの話で盛り上がっていた。西田さんが「なあ、加藤さん、俺たちもカラオケ行きたかったな」というと、「えっ、何言ってるんですか!あれだけ歌ったら十分でしょ」と新人の翔太に切り返された。もしや、西田さん、加藤さん。あなた方も「ホジ」落としてたのでは・・・。

以前、同じ東北である宮城の人に「秋田では、未だにあんな飲み方してるんですね」と言われたことがある。まるで絶滅危惧「民」のような言い方だ。だが、確かに「そろそろお開きで」なんて、ここでは通用しない。「締めます!」と幹事がきっぱり言わない限り、宴会は延々と続く。酒が大好きで、酒を飲むことに寛容な風土の表れなのかもしれない。

それにしたって昨日は「大きいグラスに氷水ください」と「和らぎ水」頼んでたのになぁ…。「ホジを落とした」次の日だけは、ひたすら、そしてひたすら反省が続く。



[其の九]『むごもてみゃもみえにゃ(向こうも手前も見えない 猛吹雪)』

sonokyu

酒つくりは寒つくり。寒さを味方に付けてきめ細やかな味わいのある酒を醸す。普段、道行く人との冬のあいさつは「寒くて大変だんす。あんまり(雪)降らねばいいんすね」と、一応合わせているが、じつは我々蔵人、「寒い日が続いて最高!」と心のなかで思っている。

ただし、それにも限度というものがある。明け方からやけに暖気めいて、米をふかす大量の蒸気が釜場の高いところにある天窓から抜けないで床を這う。こもった蒸気で蔵の中にもやがかかり、視界さえ遮る。

「いよいよ来たが、今晩から大荒れだな」だれともなく口にする。案の定、日中、温かい雨が降る。その雨がやむ頃、ひと息ついていた冬将軍が暴れ出す。「雨返し」と呼ばれる猛吹雪の始まりだ。蔵の何箇所かある蒸気抜きの天窓から雪がチラチラ落ちてきて床をぬらす。ガラス窓がカタカタ鳴って、しまいには雪が張り付いて外の光が届かなくなる。

蔵は小さな町の真ん中にある。町なかでさえこんなに悪天候だと、周りに点在する村への道は全くのホワイトアウトなのが容易に想像できる。「むごもてみゃもみえにゃ(向こうも手前も見えない、猛吹雪)」つまりまるっきり視界が利かない状態なのだ。車は立ち往生。それを知らずに追突することもある。除雪が行き届いている今日でさえこんな状態だから、除雪という仕組みがなかった頃は山岳地帯でもないのに「ふきどり」と言って遭難する危険があった。

そのころ学校に通う子どもたちは大変だった。私の通った蛭野小学校は田んぼのなかにあった。自宅が遠い子たちで2キロの道を歩いて通った。除雪のされていない道は人が歩くことで踏み固められたもの。この辺では細い道を「背骨道(せぼねみち)」といって、踏み外すと大人でも腰まで埋まって身動きができなかった。大人たちは吹雪に備えて子どもたちがその「背骨道」から踏み外さないよう葦をたくさん用意して道の傍らに刺して目印とした。

それでも吹雪は容赦しない。子どもたちは一列になって歩く。先頭は6年生の男の子だ。家族でいえば父さん役だ。その後をピッタリついて低学年の子たちが続く。しんがりは母さん役の上級生の女の子。赤いマントを着ている子が多かった。まつ毛に雪が付いている一年生は真っ白い何も見えない世界に、もう泣きそうだ。経験したことのない怖さだ。そして、口をふさがれたような、息することのできない程の強い風にしゃくりあげる。やっぱり泣き出した。列から遅れ始めると、一番後ろの姉ちゃんがマントをさっと開けてその一年生を受け止める。マントの中は温かい。姉ちゃんはマントの中で自由になっている両手を後ろから一年生の肩に回して一緒に歩いてくれる。南極でペンギンが赤ちゃんを股に隠して吹雪をやり過ごす光景に似ている。一瞬風が弱まると、遠くに学校が見える。薪ストーブの煙突から細い煙が真横に流れている。「ほら、がっこ見えできたよ」と姉ちゃんの声。その声に一年生はマントから顔だけちょこんと出してみる。

用務員の小玉さんが、ストーブを真っ赤に燃やして子どもたちを待っていてくれた。泣きじゃくっていた一年生は、何年かすると先頭に立ってみんなの風よけになって歩く。順繰り順繰りに。

ふと、秋田の人たちは忘れっぽい人が多いのかもしれないと思った。冬に「大雪いやだ」「吹雪はきらいだ」「ご先祖さん、なんでこんなとこ選んだの?」といっていたのに、春の桜の咲く頃にはもうそんなこと「すぺっと」忘れて、笑顔で一杯やっているんだから。