[其の十]『ホジ落とす(本地落とす、正体なくす、記憶をなくす)』

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瞼をゆっくり開ける。時計の短針が「3」のあたりにある。二日酔いではないようだ。次の瞬間ムクッと起きて「あちゃー、またやった」と、顔をしかめる。テーブルの上にはクルマの鍵と財布、百円玉が七、八個。運転代行を使って帰ってきたのは間違いがないようだと、まずは安心する。

嫁さまに声を掛けられた。「ん? 今何時? なにウロウロしてるの。何か探しもの?」「いやー、なんでもない」そう答えたものの、実は探している。夕べの記憶だ。

夕べは蔵の飲み会だった。その飲み会の記憶が途中からない。この辺りではこの状況のことを「ホジ落とす」という。この「ホジ」、一旦落とすとなかなか見つからない。刑事ドラマのように、夕べの足取りや言動を聞き取りし、人様に「被害」を与えていないか、自ら証明しなければ。解決しないといつまでも「被疑者」みたいで居心地が悪い。

天の戸には「杉玉会」という親睦会がある。冬の酒つくりの期間中、休みなしの毎日にもかかわらず「酒つくりの疲れは酒で流す」などと宴会をやる。会則はただひとつ、「何があっても、最低月一回やること」。

社長には「今年の酒の出来は、料理と合わせてみないとわからない」とか「酒の味は蔵の空気のなかでは欠点が見つけにくい。外で飲んでみないと」などともっともらしい理由をつけてお酒を出してもらう。会費はツマミに充てるのだ。

毎回スタートは六時ころから。はじめは本来の目的どおり「利き酒」だ。「今年は味たっぷり型だ」「このタイプは味のりするまで出荷を待ったほうがいいな」と互いに感想を言い合う。そして、そのあとは差しつ差されつだ。

「さて」と、料理をゆっくりと食べようとすると「杜氏、ご苦労さんです」「杜氏、さすがです」「杜氏、この酒どうですか?」。若手の連中が次々と酒を注ぎに来る。杜氏すっかりご満悦である。・・・ん? まてよ。もしや。

《それでなくても、仕事での杜氏は口うるさい。飲み会でもその調子でやられちゃ大変。まずうるさい杜氏には眠ってもらおう》──きっとそうだ。そういう魂胆だったのだ。してやられた。睡眠不足とはいえ、あまりに早い撃沈だったのはそのせいか。「杜氏、代行来ました」と、鈴木君から言われて目が覚めたような気もする。それもおぼろげだ。

やはり記憶がつながらない。次の朝、先輩の西田さんと加藤さんに「昨日、途中からの記憶なくて、俺、変なことしませんでしたか?」と恐る恐る聞いてみた。すると二人は「なんの、おりこうさんそのもの」「静かに飲んでたよ」。その言葉にやっとほっとする。

休憩時間、若手連中が二次会で行ったカラオケの話で盛り上がっていた。西田さんが「なあ、加藤さん、俺たちもカラオケ行きたかったな」というと、「えっ、何言ってるんですか!あれだけ歌ったら十分でしょ」と新人の翔太に切り返された。もしや、西田さん、加藤さん。あなた方も「ホジ」落としてたのでは・・・。

以前、同じ東北である宮城の人に「秋田では、未だにあんな飲み方してるんですね」と言われたことがある。まるで絶滅危惧「民」のような言い方だ。だが、確かに「そろそろお開きで」なんて、ここでは通用しない。「締めます!」と幹事がきっぱり言わない限り、宴会は延々と続く。酒が大好きで、酒を飲むことに寛容な風土の表れなのかもしれない。

それにしたって昨日は「大きいグラスに氷水ください」と「和らぎ水」頼んでたのになぁ…。「ホジを落とした」次の日だけは、ひたすら、そしてひたすら反省が続く。



[其の九]『むごもてみゃもみえにゃ(向こうも手前も見えない 猛吹雪)』

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酒つくりは寒つくり。寒さを味方に付けてきめ細やかな味わいのある酒を醸す。普段、道行く人との冬のあいさつは「寒くて大変だんす。あんまり(雪)降らねばいいんすね」と、一応合わせているが、じつは我々蔵人、「寒い日が続いて最高!」と心のなかで思っている。

ただし、それにも限度というものがある。明け方からやけに暖気めいて、米をふかす大量の蒸気が釜場の高いところにある天窓から抜けないで床を這う。こもった蒸気で蔵の中にもやがかかり、視界さえ遮る。

「いよいよ来たが、今晩から大荒れだな」だれともなく口にする。案の定、日中、温かい雨が降る。その雨がやむ頃、ひと息ついていた冬将軍が暴れ出す。「雨返し」と呼ばれる猛吹雪の始まりだ。蔵の何箇所かある蒸気抜きの天窓から雪がチラチラ落ちてきて床をぬらす。ガラス窓がカタカタ鳴って、しまいには雪が張り付いて外の光が届かなくなる。

蔵は小さな町の真ん中にある。町なかでさえこんなに悪天候だと、周りに点在する村への道は全くのホワイトアウトなのが容易に想像できる。「むごもてみゃもみえにゃ(向こうも手前も見えない、猛吹雪)」つまりまるっきり視界が利かない状態なのだ。車は立ち往生。それを知らずに追突することもある。除雪が行き届いている今日でさえこんな状態だから、除雪という仕組みがなかった頃は山岳地帯でもないのに「ふきどり」と言って遭難する危険があった。

そのころ学校に通う子どもたちは大変だった。私の通った蛭野小学校は田んぼのなかにあった。自宅が遠い子たちで2キロの道を歩いて通った。除雪のされていない道は人が歩くことで踏み固められたもの。この辺では細い道を「背骨道(せぼねみち)」といって、踏み外すと大人でも腰まで埋まって身動きができなかった。大人たちは吹雪に備えて子どもたちがその「背骨道」から踏み外さないよう葦をたくさん用意して道の傍らに刺して目印とした。

それでも吹雪は容赦しない。子どもたちは一列になって歩く。先頭は6年生の男の子だ。家族でいえば父さん役だ。その後をピッタリついて低学年の子たちが続く。しんがりは母さん役の上級生の女の子。赤いマントを着ている子が多かった。まつ毛に雪が付いている一年生は真っ白い何も見えない世界に、もう泣きそうだ。経験したことのない怖さだ。そして、口をふさがれたような、息することのできない程の強い風にしゃくりあげる。やっぱり泣き出した。列から遅れ始めると、一番後ろの姉ちゃんがマントをさっと開けてその一年生を受け止める。マントの中は温かい。姉ちゃんはマントの中で自由になっている両手を後ろから一年生の肩に回して一緒に歩いてくれる。南極でペンギンが赤ちゃんを股に隠して吹雪をやり過ごす光景に似ている。一瞬風が弱まると、遠くに学校が見える。薪ストーブの煙突から細い煙が真横に流れている。「ほら、がっこ見えできたよ」と姉ちゃんの声。その声に一年生はマントから顔だけちょこんと出してみる。

用務員の小玉さんが、ストーブを真っ赤に燃やして子どもたちを待っていてくれた。泣きじゃくっていた一年生は、何年かすると先頭に立ってみんなの風よけになって歩く。順繰り順繰りに。

ふと、秋田の人たちは忘れっぽい人が多いのかもしれないと思った。冬に「大雪いやだ」「吹雪はきらいだ」「ご先祖さん、なんでこんなとこ選んだの?」といっていたのに、春の桜の咲く頃にはもうそんなこと「すぺっと」忘れて、笑顔で一杯やっているんだから。



[特別編]「襷・タスキ」 に寄せて

タスキの画像

 

私たちは誰からタスキを受け取って、誰に渡すのだろう。
私たちが受け取って渡すタスキって何だろう。

ひとりだったら、休みたくてさぼりたい自分。
でも、目の前の中継地点で倒れ掛かるようにタスキを手渡されたら、
きっとここ一番、心入れ替えて頑張らねばと思ってしまうよ、きっと。

先輩から後輩へ、先生から生徒へ、大工の棟梁から弟子へ。
そして、親から子へ。
渡すタスキは言葉ではないことも多いだろう。
それは取り組む姿勢であり心意気なのかもしれない。
前走者へのあこがれと尊敬の気持ちがなければうまく引き継がれないだろう。

人の中には愚かさが住んでいるらしい。
その愚かさゆえに、大ブレーキ。ずっと遅れて手渡される。
だからって、愚痴って言い訳ばかりをしていてはレースが終わってしまう。
愚かさを受け取って、愚かさのまま、タスキを渡してはいけない。
何年後かに「あのことがきっかけでかえって発奮しました」とインタビューで答えたいんだ。

私たちは誰からタスキを受け取って、誰に渡すのだろう。
私たちが受け取って渡すタスキって何だろう。

私たち蔵人は、農家さんの米を受け取って酒というタスキに変えて地酒屋さんや小売店さんに渡します。
地酒屋さんは我々の思いを言葉に変えてお酒といっしょに愛飲家の皆さんに手渡してくれます。
だからこそ、私たちはそれぞれの思いが心に残るお酒をつくらなければなりません。飲めばなくなるお酒だからこそ。

 

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