[其の八] 『うめゃもの(うまいもの、おいしいもの、甘いもの、お菓子)』

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小さいころ「言うごと聞げば、《うめゃもの》かせる」とよく言われた。〈おりこうさんにしていたらお菓子を食べさせてあげる〉という意味だ。この魔法のひと言に、ワンパク坊主たちは借りてきた猫のように上目づかいにおりこうさんにしていた。その当時の《うめゃもの》は《甘いもの》であり、めったに口にすることのない「お菓子」だった。

さて、食いしん坊の自分にはかなり酷な質問ではあるが「あなたにとって今一番のおいしいものはなんですか?」と自問してみる。迷いながらも「煮付け」と答えるだろう。鶏肉にごぼう、糸コン、凍み豆腐…。そうそう、ゼンマイ、タケノコなどの山の幸があれば言うことがない。甘辛く煮付けると、ご飯はもとよりまずお酒が進む。我が家の食卓に「煮付け」が登場すると私の顔はゆるゆるの笑顔になる。

ある日の夕飯、そのゆるゆるの私を見て、嫁さまが聖母のような微笑みで語りかけてきた。

「おいしい? ……ふうーん、よかったわね。それ、お義母さんが作ったの」。

その後、会話がしばらく途切れる。「聖母の微笑み」が一気に「氷の微笑み」に見えてくる。むむむ……、嫁姑問題。最近うまくいっていたから、気が緩んだんだ。まずい、やってはいけないことをしてしまった……。きっと嫁さまは「私の作ったものには見せないその嬉しそうな顔。なによその顔。『キミのつくったものが一番おいしい』だなんて嘘っぱち。私は塩分を抑えて、砂糖も少なめにして、最高にカラダに気を使ってるっていうのに。お義母さんの作るこてこての煮付けがそんなにおいしいんだったら、三度に三度作ってもらったら!」。

嫁さまの目が静かにそう言っている。

沈黙の食卓。もはや味さえわからない。

今はなにを言ってもとり合ってくれないだろうから、せめて自分の中で精一杯の「言い訳」をする。

人の味覚とは二十歳辺りであらかた決まってしまうと聞いたことがある。つまり、小さい時に何を食べてきたか。そして、何を「おいしい!」と思ってきたかにあると。鮭が生まれた川に戻るように、家から離れてしばらくすると、母親やばあちゃんの慣れ親しんだ味を探すような気がする。そしてその味にたどり着くとホッとする。「おふくろの味」はそんな心持ちのことかなと思う。

とかくその土地の名物料理というと食材が真っ先に取り上げられる。でも、その食材が他の土地にもあるものだったりする。だったら何が名物なのか? きっと工夫したその味付けだろう。その土地の人たちの舌に染み付いた「おいしい! 」の記憶だ。お酒もその土地の人たちがおいしいと思う味わいにするから「地酒」なんだ。

さて『それお義母さんが作ってくれたの』事件からなんとか小康状態となった我が家に息子たちが久しぶりに帰ってくる。ここぞとばかりご機嫌を取ろうと「大変だろうから、食事は外でしようか?」と私が言うと、嫁さまは「だめだめ」とあっさり切り返す。

「二男と三男は私の餃子が食べたいって言うし。長男はゼンマイとタケノコの煮付けが食べたいって言うから…。ウチは定食屋じゃないっていうの、まいっちゃう。あぁいそがしい、いそがしい」。

笑顔で「おいしい!」と声に出していうと、次の「おいしい!」を作るエネルギー源になる。しかしな、息子たちよ。くれぐれも嫁さんや彼女の前で「おいしい! これ食べたかったんだよな~」だけは御法度だぞ。くわばら、くわばら。



[其の七] 『どやぐ(友達、親友)』

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この「どやぐ」という言葉には、幼なじみ、竹馬の友…、そういった意味がある。二人の男の子が肩を組み、空いた片方の肩に釣り竿、そうしてもう一人の手にはバケツ。肩を組むこと=友達の証、そんなイメージがある。

中学の頃の話だ。はちきれそうなワクワク感で迎えた新学期。その気持ちは配られた一枚の紙で萎えてしまった。

「身上書」というその用紙の二つの質問欄の答えがなかなか埋まらないからだ。ひとつは「御父兄の家庭での教育方針は?」だ。母に聞くと、父さんに聞いてと言われた。父に聞くと「めんどくさい。そんなのウチにないべ。なんやかんや書いとげ」といわれた。腹一杯食べて朝元気に起きてくれば上等、みたいな家に「教育方針」という四文字熟語は存在しない。しかたなく、「人に迷惑をかけない人になってほしい」などと書いてお茶を濁した。

もうひとつ、例の「身上書」の埋まらない欄とは「あなたの友達はだれですか?」だ。こっちはもっと往生した。頭には何人かの「友達」の顔が浮かんだ。ただし、その半分近くが年上、先輩なのだ。「先輩を友達と言っちゃ失礼だ」と思った。次に同学年の友達も頭に浮かんだ。しかし「待てよ。俺が一方的に思っているだけで、彼はそんなことちっとも考えてなくて…。彼は、◯男と◯平の名前をこの欄に書くかもしれない。きっとそうだ」そんなこと考えていた。いっそのこと「あのさ、ちょっと確認だけど、俺たち、友達だよね?」と聞いとけばよかったのか。もちろん、できっこない。恋愛感情だけじゃなく、『友達感情』もどこかしら、思い出すと幼さゆえの甘酸っぱいところがあるものだ。

現代の若者はどんな友達の定義を持っているのだろう。二十歳を迎えた三男坊に『現代友達事情』を探ってみた。

「まず、携帯の電話帳に載ってる人。すべてじゃないけどね。LINEとかのやり取りがある人かな。よく言うじゃない“つながってる”って。“つながる”と“友達”はほとんど同じだと思うよ。だんだん友達の友達と仲良くなっていくしね」。

フェイスブック、ツイッター、LINE…。当たり前となった人と“つながる”方法だ。

「あんまり枠に縛られないで、あまりムリしないで付き合えるから」といって正月に集まった彼らは高校も性別も別。ただ『バスケットボールを同時代に頑張った』という“くくり”だ。還暦に近いおっさんもなんか「いいね!」と素直に思う。しかもその刺激を受けておっさん、その“つながる”を始めてみた。今のところ「帰りに焼肉のタレ、中辛買ってきて」という嫁さんのメッセージが入るくらいだけど。

一年半ほど前、あるきっかけで「酒ってなんだろう」と真面目な気持ちで「飲まない時間」を過ごしてみた。しばらくして、自然と湧いてくる感情があった。「人恋しさ」とでも言えばいいのだろうか。酒も気心の知れた友人も同じようなところがあると思った。「それはよかったね」といっしょに喜んでくれる。そして「いつまでもくよくよするな」と励ましてくれる。楽しいことが倍になり、辛いことが半分になる。

久しぶりに遠くから友達が来る。仕事をフル回転で片付けよう。旨い酒を選んでおこう。畑の野菜を漬物にしよう。そして言うんだ。「よう飲み友達、ひさしぶり。明日は休みをとったからゆっくりやろう」って。

 

〈 恋する秋田新聞 2014年 2-3月号掲載 〉



[特別編] 「山内杜氏」・・・生真面目さの歴史

山内杜氏

雪の白さが眩しい初雪の頃だ。二十年も前になるだろう、酒造り集団「山内杜氏」の故郷横手市山内(旧山内村)を車で通ることがあった。降ったばかりの屋根の雪を下ろしている人の姿は、ほとんどが女性だった。「男たちが酒造りに出る間は、家を守るのは女の仕事。雪の量が少ないうちから下ろしておかないと大変になる。豪雪地帯のかあちゃんたちの知恵だな」と同乗者が教えてくれた。

「寒造り」といわれるように、冬に集中して酒を造る蔵元のところへ、農閑期である冬場の仕事を求めていた山村の農家の子弟が、はじめは若勢(奉公人)として酒蔵に入った。防寒具や手袋を身につけない冬の水仕事は想像を絶する。布類を素足で踏み洗いし、水際があかぎれでしもやけになり、痛くて夜寝られなかったと聞く。前の山内杜氏組合長、高橋徳保さんは「中学出てすぐ連れて行ってもらいたがったけど、体力ねばダメだって言われた。野良仕事で鍛えでからだって」。その前の組合長、吉野典治郎さんは「一年、二年、三年。来る日も来る日も庭掃き桶洗い小僧。いつになれば酒つくり教えてくれるんだろうと思っていた」。ちなみにこのお二人も現在の組合長の高橋藤一さんも、酒造りの長年の功労を讃えられ、黄綬褒章を受章されている方々だ。

そんな酒造りの先人たちを精神的に支えて来たものはなんだろう。この山内という土地に根付く〈生真面目さ〉ではないだろうか。その資質を感じた蔵元さんたちは、お盆のころに蔵人を集めて行う「酒造講習会」を全面的にバックアップしてくれた。講習を受けた人の中には頭角を現す人が出てくる。そして「人を集めて、うちの蔵が一年売る酒を春までに造ってくれ」という依頼が舞い込むことになる。こうして杜氏をトップに据えた請負が始まっていったらしい。この杜氏制、酒造りの現場に関して一切口を出さない潔い蔵元の考え方がある。その一方で、働く側から見ると「全責任は杜氏にある」という厳しい通達にもとれる。高価な米を使うという責任、蔵人とその家族の生活がその肩にのしかかる。失敗は許されない。

私が酒造りの世界に入った30年前、「葬式に出たら○日間、お産に立ち会ったら○日間、蔵への出入り禁止」ということを聞いた。「ちょっと待ってよ、この世界は何時代?」と正直びっくりした。一度酒造りに入ると、一切の邪念はまかりならぬと自らを戒めたものなのだろうか。酒造りは繊細な微生物相手。目を凝らし、耳を澄まし、香りを嗅ぎ分け、味を確かめる。すべての感覚を集中しなければならない仕事だ。「親の死に目に会えない」「冬に生まれた赤ん坊は、春まで会えない」そんな言葉さえ大げさに思えなくなってくる。片時も蔵から離れず、夜はもろみと添い寝するような、そんな心境でやって来た仕事ではあるまいか。

最近の酒造り、冬場だけの仕事を求める人が減ったこと、製造石数の減少や、一年を通してお酒を管理するためにも、社員が、そして中には蔵元自身が杜氏として酒をつくることも珍しくなくなってきた。

酒造りは霧のかかった山に登るのに似ている。よりおいしいもの、新しいものと思って必死に登る。目指す〈頂き〉に着いて、まだ誰も足を踏み入れていない世界だと達成感に浸る。しかし、それもつかの間、霧が晴れるとその〈頂き〉には無数の先人の足跡があることに気づく。これまで登ってきた道さえも、その先人たちが踏み固めて来たものであることを知る。その足跡は教えている。

「おいそこの若いの、まだまだもっと高いところがあるよ」と。